背広の一般化
20世紀半ばの礼装の簡略化に伴い、従来はモーニングコート、ディレクターズスーツ又はタキシードを着用すべき場合にあっても、黒色を含むダークスーツで許される場合が増えている。
例えば、勲章等着用規程(昭和39年総理府告示第16号)第3条により、宝冠藤花章以下の宝冠章、旭日小綬章(旧勲四等)以下の旭日章、瑞宝小綬章以下の瑞宝章、褒章又は記章を着用する場合には平服に着用することができるものとされている。ここにいう平服とは背広服をいう。
但し、大綬章の副章、中綬章以上の勲章及び文化勲章を着用する場合にはフロックコート等に頸飾及び大綬章以上の勲章を着用する場合には燕尾服等に着用することができる。
イギリスでラウンジ・スーツ(Lounge Suit)、アメリカでサック・スーツ(Sack Suit)と呼ばれ、19世紀に登場したもので当初はレジャー用だった。しかし19世紀末から20世紀の初頭にかけてアメリカのビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及した。
スーツはもともとビクトリア王朝時代の詰襟の英国軍服(4つボタン)の第1ボタンを外して襟を外側へ折り返し、ラフに着こなした姿が元祖と言われる。その後あらかじめ襟上部を外側へ開襟して仕立てた、現在のスーツの原型が誕生し、やがてボタンの数が減って3つボタンまたは2つボタンの上着が誕生、その後は軍服とは別の「スーツ」という服装の定義が誕生していった。
スーツの元祖である正統派スーツはスリーピース・スーツであり、イギリスで生まれたスーツは貴族紳士の嗜みとされていた。アメリカ人も入植初期の頃はイギリス様式そのままのスリーピース・スーツを着用し、ツーピース・スーツなど存在しなかった。ツーピース・スーツは正統派スーツを簡略化したもので着用様式も簡略化したものである。
日本では幕末末期~明治時代以降着られるようになる。その頃のスーツはイギリス製、アメリカ製、フランス製が主流だったが、当時はスリーピース・スーツしかなかったので当時の日本人が着たスーツはいずれもスリーピース・スーツであった。ただし、明治時代の日本では男性の洋装としてはむしろフロックコートが主流で、大半の日本人は和装だった。
制服(軍服)としては長らく立襟型のジャケットが用いられてきたが、市民服としての背広の一般化に伴い制服として背広型が採用されることも多くなってきた。
第二次世界大戦以前の1930年代頃は3つボタンのスーツが主流。その後次第に「ローリングダウン(段返り)」と呼ばれる、第2ボタンを止めて第1ボタン部はラペル(下襟の返し)と一緒に開襟する着用方法がアメリカを中心に流行し、やがて段返り着用を前提に仕立てられた3つボタンスタイルのスーツ(襟のアイロンが第2ボタン直上までかけられていて、第1ボタンを閉めない上着)が登場した。その後段返りスーツから第1ボタンが省略され2つボタンスーツが誕生。同大戦後はほぼ2つボタンが主流の座となる。その後日本では1990年代頃より3つボタンが再度普及していった。
日本ではバブル期にダブルが流行した。現在は若い世代がシングル3つボタン、中年以上の世代ではシングル2つボタンが主流であるが、2007年末ころから段返りシングル3つボタンも次第に復活してきている。ダブルも壮年層を中心に根強い固定支持層がある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
スーツ着こなせてる人ってすごくカッコいいですよね。
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